16. Hara ga Tatsu

対象が 事件 あるいは 事件に およばないこと 限定で、

今回は 腹が立つに関して 口調優しく 書こうと思っています。

まさかと思ってましたが、

親で有りながら 我が子に 「腹が立つ」 人って いるんですよね。

我が子に「腹が立つ」のは、 問題外の外

つまり 話にならないってことですね。

「修行が足りん!!」ってことです。

 

前置きは さておき

結局、

腹が立つ人は、自分の主張を通したいのですね。

自分の主張を認めさせたい 賛同を得たいのですね。

 

人は、他者に対する期待と依存が大きければ大きいほど、腹が立ちやすくなりますよね。

また、自分や、子どもや、恋人といった、自分の大切な人が傷つけられる恐れのある時も。

更に、自分が不利益を受ける可能性がある時も。

 

どうして腹が立つのか?

きっと「自分ならこうする」と思っていることを相手がしないからですよね。

そしてその反発として、相手の行動に怒りを感じるわけです。

 

次に、腹立たしく思える人は、何故そういう行動や態度を取るのか?を考えてみます。

 

あなたに腹を立たせた人は、いったい何がしたくて、そういう行動や態度をとると思いますか?

その人の“肯定的な目的”を考えてみて下さい。

「肯定的な目的? その人のその行動に、肯定的な理由なんてあるの?」と思った方もいるかもしれません。

もしかしたら、あなたのイメージの中では、そのような行動を取る人は、

悪意に満ちている 絶対に許せない悪人や

何を考えているのか分からない 変人 なのかもしれませんね。

でも、その考え方は 如何なものか?

誰だって喜びを得る方法を選択して、行動をとるのに違いはないのですから・・・・。

 

誰かを非難する人は、

その行動を通じて、「私のことをわかってほしい」というのか目的(そうなれば喜びが得られるから)

聞く耳を持たない人は、

「私のことを変えようとしないで。このままの私を認めてほしい」というのが目的。

 

その人も、理解を求めているのです。あなたと同様に

 

その人も、幸せな喜びを味わいたいのです。あなたと同様に

 

その人も、苦痛を避けようとしているのです。あなたと同様に。

 

その人の行動が良否はさて置き、その人の目的が、

あなたと同じく、幸せになることだということを、理解してください。

その人も、あなたと同じく 今 その人のやり方で、一生懸命に頑張っているのです。

他人の心を 傷つけている なんてことには 全然気づいてない場合が大半では?

ただ 世間知らず で 少し自己中 なのかも?

 

その人の行動に腹が立ったときは、

心の中で、「この人も、自分と同じように〇〇を思うゆえでの行動なんだろう」って、考えてみてあげて下さい。

 

 

他人の態度にイライラさせられたとき

無理をして我慢しようとすれば、

「自分は悪くないのに、なぜ私が我慢しなければいけないのか」と思うと、

よけいに腹が立ってしまいます。

そして、「自己嫌悪に陥りたくないから、今度は相手をどんどん悪者に仕立て上げてしまう。

俗に言う悪者探しをしてしまう。

その内にそんなふうに他人を憎んでいる自分に嫌気がさす」という

悪循環にはまり込んでしまいます。

「自分が悪いのか、相手が悪いのか」という考え方では、問題は解決しません。

そんなのどうでも良いのです。

 

あなたの目的は、相手を「はぁはぁ~」と、ひれ伏せさせることですか?

それが 目的なのですか?

自分が悪くても、

相手が悪くても、

いくら 自分を正当化しても、

結局、後味の悪さが残るだけですよね きっと。

 

「どちらが悪いか」という追求は やめましょう。

もちろん、他人への不満をすべて抑え込めばよいというのではなく、

八方美人になれば良いというのでもありません。

 

腹が立ったときに、しなければいけない行動の本来の目的は、

互いの考えを理解し、より良き考え方や行動を取れるようにすることです。

言いたいことが言い合える関係を築くことが大切なのです。

ただ、苛立ちをぶつけるのと、

互いの関係をよくするための建設的意見の話し合いとでは、大きく違います。

その心がけが大切なのです。

 

 

長くなったけど 最後に

腹が立つということに関して、高木善之さんは下述のようなことをおっしゃっています。参考にしてみて下さい。

「思い通りにならないから腹が立つ」

では、思い通りにならないと何にでも腹が立つのだろうか。

例えば 天気は思い通りになるだろうか。

天気は思い通りにならない。

天気は思い通りにならないものだとわかっているから、腹は立たないのだ。

つまり「思い通りにならないから腹が立つ」のではなく

「思い通りになると思っているものが、思い通りにならないときに腹が立つ」のだということがわかる。

ところで、あなたは誰かの思い通り.になる人間だろうか

「とんでもない。自分は誰の思い通りにもならない」と思っている。

たしかにあなたは誰の思い通りにもならないだろう。

そもそも誰だって、誰かの思い通りにはならないものだ。

ではなぜ、その人に腹を立てるのだろうか

あなたが誰の思い通りにもならないのと同じように、

その人だってあなたの思い通りにはならない。

夫婦だって、親子だって、家族だって、部下だって、

自分だって自分の思い通りになりはしない。

思い通りにならないのは当たり前なのだ。

腹を立てていたということは きっと勘違い

あなたが「思い通りになる」と勘違いをしていたことが原因だったのだ。

このことが本当にわかれば、あなたは腹を立てなくなるだろう。

簡単に腹を立てるのは、やめたほうがいい。

勘違いで腹を立てられるのは迷惑なことだ。

つまらんことにしょっちゅう腹を立てるのは、つまらんことだと思う。

 

15.無駄遣い

無駄遣いとは、お金などを、

必要のないことや役に立たないことに使うことです。

 

私の中では

子どもが望むことであっても、

親がそれを 本当はあまり認めていないことに

お金を使うことを、

「無駄遣い」だと思っています。

 

例えば、ゲーム

子どもは 何時間でもゲームをしたい。

そして親は、その使用に対し、制限時間を設ける。

このような場合は、

私は、ゲームを買ったことが、

親の子どもに対する「無駄遣い」だと思います。

 

しかし

同じゲームを買うにしても、

子どもが、ゲーム製作などに興味を持ち、

将来 プロのゲーム制作者を夢見ている。

親も、それに 賛成して

そして 研究熱心な子どもを

応援するような場合は、

それは、「無駄遣い」にならないと思います。

 

よくあるんです。

「うちの子は ゲームばっかりしていて、『止めなさい』って言っても、全然きかなくて・・・・・」

「止めなさい」って、親が言わなければいけないような物を、

なぜ 買うのか?

買い与えた張本人は、あなたでは?

と、私は思うのです。

 

子どもが 何時間でも 没頭できるもの。

そして その没頭している子ども対し、

「感心な子どもだな」って

親として 喜びを覚えられるもの。

そんな物を 買ってあげて欲しいです。

 

通常は 限られた お金のはず。

有効的なその使い道を 考えながら

子育てをして欲しいと思います。

 

折角 買ってあげた物なのに、

何故かそれを、

「あまり使わないようにしなさい」

と、言わざるをえないような

そんな

「無駄遣い」 を、してませんか?

 

 

 

 

 

 

14.前回「親の洗濯?」のおまけ

人には 選択ミスの中で、自分が気づいているミスと気づいていないミスがあるはずです。

自分で「気づいてしまっているミス」を「後悔」と言うのだと思います。

この「気づいてしまっている」と いうところがミソである。

 

後悔するのも自分、後悔しないのも自分。

他人が勝手に、自分を後悔させる訳ではありません。

自分が 認めるから 「後悔」なのです。

危険予知や例外対応の準備の有無で、大きく左右されると思います。

 

ただ、

「神様は その人が解決できないことは 与えない」と聴いたことがあります。

そこは、いくら宗教嫌いでも、信じきってみたいところです。

 

 

 

13. 親の洗濯?

人生は 岐路に立った時の 選択の違いで

進む道が 徐々に変わり、 

そして 他人とは 全く違った結果となる。

人は、方向が違えば、到達点も違う のです。

 

人生を振り返ると

木が成長するがごとくで、

幹という経験があり、たくさんの枝という選択枝がある。

その枝は、

通常 子どもの頃は、親によって剪定される。

盆栽(凡才)にするのも

見栄えの良い木にするのも

生き生きと育つ木にするのも

その剪定次第だと思う。

剪定師、つまり 親がもっている

技量と知識力と能力で

違いが生じ、

その結果

子どもの人生も変わってしまう。

 

よく 「最後は子どもに決めさせたいと思います」 とか

「最後は子どもに決めさせました」と いう

親がいるが

この場合

その時点のその子に、

その事柄を決めることができる能力の

有無判断の、ミスをしてはいけないと思う。

子どもがその判断も下せない能力なのに

親が 子どもに決定権を持たせることは

親の無責任に繋がると思う。

後になって「あなたが決めたんでしょ?」なんて

責任逃れをしてはいけない

親である以上。

 

進路に関するときなど、

子どもにとっては 未知の世界の判断となるわけです。

見知らぬ世界の判断は 大人でも難しいです。

だから、親でさえ 迷う事項なら、

少なくても、子どもが中学卒業する頃までは、

色々なこと

親が判断すべきだと思います。

勿論 子どもの気持ちを察し 考慮しながら。

 

また、

「君が決めなさい」と、言っておきながら

親という権力で

最終的に子どもの意見を覆すことだけは、

しないで済むようにしておくことも大切です。

 

今までに

たくさん 親の選択ミスを 見てきたような気がします。

私事も含めて。

確実に 親の選択ミスのせいで

その子の進む方向が違っていきます。

(断っておきますが ただ、それは あくまでも私の思う選択ミスであって、当の本人にとってはミスでもないかも知れません。)

 

 

一度 自分の考え方の洗濯をすることを お勧めします。