12. 違うタイプの「当たり前」

今回は 私の「当たり前」とは

違う「当たり前」を持っている人の

ある一つの共通点について書きたいと思います。

 

最初にお断りしておきますが、

これは 決して 私の「当たり前」が正しくて、他は違っているというものではありません。

単純に 私とは違うタイプの「当たり前」をお持ちの、

親の共通点です。

 

 

卓球を一生懸命している子どもが

卓球をする上に必要である用具を

何らかの理由で、購入 または 変更

しなければいけない状態になったときなどに

親が

  • 「自分のお小遣い(貯めて)で 買いなさい」
  • 「それじゃ、誕生日に買ってあげる」
  • 「サンタさんに お願いすれば」

などと 言うところです。

そして

そういう親の子には

何故か

結構 頻繁に

サンタさんが

その子の目標から焦点のずれた

くだらない物を運んでいるという ところ(共通点)もあります。

 

確かに 一言では言えない色々な 事情もあるかも知れませんが、

結果だけを言えば

そのような 「当たり前」の下に、県チャンピオン以上の成績をあげた子どもは、当クラブにおいては 誰も居ません。

 

子どもが望むことで、それが過ちでない事柄なら

全面的に、親は協力してあげてほしいですね。

全面的協力が、感謝の気持ちを植え付けます。

感謝の気持ちが、無駄のない行動にも繋がります。

 

例えば

数学学者を夢見る子どもの

「すごく欲しい 数学の問題集があるんだけど」に対して、

「自分のお小遣いで買いなさい」は、可能な限り無しにしたいですよね。

「安い参考書なら買ってあげる」も、可能な限り無しにしたいですよね。

その代わり

何かを我慢させる必要は、 当然 有りだと思います。

 

どこに 持っている全ての力(時間・お金も含め)を 集中させるのか

どこを 軸として その軸をどうしたブレないでいられるか

この点を 深く 考えたいと 思うのです。

 

次回は、 親の洗濯? にするつもりです。

11. 当たり前2

子どもの頃は 住む世界が狭いから 自分の当たり前が全ての当たり前のように思っているが、大人になると 色々な当たり前があるという話を 前回に書きました。

さて 今回は

何かを求めている子どもを持つ親において

当たり前の共通点があると思う お話です。

その真剣度というか追求度で、共通点も分かれます。

かつて、全中(全国中学校)制覇 ・ インターハイ(高校総体)制覇を目指していた子ども達を持つ親の「当たり前」には、驚くほど共通点があったことを覚えています。

(結果的に 全中準優勝、インターハイ2連覇と準優勝1回でしたが)

中学生時代は、富山県・奈良県・静岡県・兵庫県・石川県・宮城県・三重県出身の選手を持つ親たちでした。

高校になり、愛知県・福岡県・京都府出身の選手が加わりました。

子どもが小学生の時は、地域も違う訳ですから勿論チームも違い、指導者も違うわけです。

環境が全く違っていたのに、親の考える「当たり前」はそっくりでした。

ビデオの撮り方やそのバッテリーの本数などなど、小さなことまでその「当たり前」がそっくりでした。

その「当たり前」が似ていたからこそ、親同士も

ごく自然に

ごく当然のように

まるで学生時代を共に過ごした仲間

のように感じていたのだと思います。

その親の仲間意識・友達感覚は、子どもが大学時代そして社会人になってからも続いています。

子ども達も 選手人生を謳歌しています。

「当たり前」が違うと、どこか 気を遣うことにより うわべの付き合いになってしますケースもありますよね。

子どもが同じクラブに所属している場合は、できるだけ保護者会(当たり前の勉強会)には参加して、意識向上をはかるべきだと思います。

 

次回は、 「違うタイプの当たり前」 にするつもりです。

 

 

10. 当たり前

子どもの頃は、

主に親が作った環境下で生活している。

だから 自分の思う「当たり前」の世界しか知らないで過ごす。

学生時代は、

気の合う仲間とよく似た環境下で生活している。

つまり 「当たり前」が似ている人たちと過ごす。

社会人になり、

結婚して、

親となった頃から

人には「当たり前」に違いがあるのを感じ出す。

 

まあ 要約すれば上記のような気がします。

いつの日からか

自分の「当たり前」が、他人のそれとはかなり違っていると、感じ出しました。

あれ? あの人おかしくない? いや 自分がおかしいのかな?

私にとっての「当たり前」は、誰にとっても「当たり前」だと思っていたのに・・・・・。

 

「その人の当たり前」=「発想の基盤」=「その人の常識」

人は誰だって、自分なりに「当たり前」にやるべきことをやっています。

でも Aさん と Bさん では「当たり前」の種類やレベルが違うことはよくあります。

こんなふうに毎日やっていることの小さな差が、3年後、5年後、10年後に、圧倒的な違いになっていくのです。

その他 違いの生じる理由としては、「例外対応力」の有無や「危険予知」の習慣及び訓練にあると思います。

さて、

当たり前とは

  1. だれが考えてもそうであるべきだと思うこと。当然(当前)なこと。
  2. 普通と変わっていないこと。
  3. 世間なみなこと

つまり、当たり前が違うと言うことは、「常識」が違うことでもあり、「世間並み」と思っているレベルが、違うことです。

成長とは、言い換えるなら、自分にとっての当たり前が増えることだと思います。

たくさん「当たり前」を持っている人が、成長度でも高いとも言えるのではないかと思っています。

勉強が足らないから、成績が悪い。

練習の質が悪いから、試合に勝てない。

食べ過ぎるから、太る。

小学生の頃に遊ばせすぎたから、中学生になっって困る

などなど

「当たり前」ですよね。

一度、子どもと「当たり前」と思えることについて、話し合うことをお勧めします。

子どもが成長するためにも

 

次回に続く