子どもの頃は、
主に親が作った環境下で生活している。
だから 自分の思う「当たり前」の世界しか知らないで過ごす。
↓
学生時代は、
気の合う仲間とよく似た環境下で生活している。
つまり 「当たり前」が似ている人たちと過ごす。
↓
社会人になり、
結婚して、
親となった頃から
人には「当たり前」に違いがあるのを感じ出す。
まあ 要約すれば上記のような気がします。
いつの日からか
自分の「当たり前」が、他人のそれとはかなり違っていると、感じ出しました。
あれ? あの人おかしくない? いや 自分がおかしいのかな?
私にとっての「当たり前」は、誰にとっても「当たり前」だと思っていたのに・・・・・。
「その人の当たり前」=「発想の基盤」=「その人の常識」
人は誰だって、自分なりに「当たり前」にやるべきことをやっています。
でも Aさん と Bさん では「当たり前」の種類やレベルが違うことはよくあります。
こんなふうに毎日やっていることの小さな差が、3年後、5年後、10年後に、圧倒的な違いになっていくのです。
その他 違いの生じる理由としては、「例外対応力」の有無や「危険予知」の習慣及び訓練にあると思います。
さて、
当たり前とは
- だれが考えてもそうであるべきだと思うこと。当然(当前)なこと。
- 普通と変わっていないこと。
- 世間なみなこと。
つまり、当たり前が違うと言うことは、「常識」が違うことでもあり、「世間並み」と思っているレベルが、違うことです。
成長とは、言い換えるなら、自分にとっての当たり前が増えることだと思います。
たくさん「当たり前」を持っている人が、成長度でも高いとも言えるのではないかと思っています。
勉強が足らないから、成績が悪い。
練習の質が悪いから、試合に勝てない。
食べ過ぎるから、太る。
小学生の頃に遊ばせすぎたから、中学生になっって困る
などなど
「当たり前」ですよね。
一度、子どもと「当たり前」と思えることについて、話し合うことをお勧めします。
子どもが成長するためにも
次回に続く