2.吾輩はロボットである

吾輩は人型・ロボットである。名前は、一応ある。

1956年モデルで、小さい頃の友達は、アトム、鉄人28号 と エイトマンである。

これでも、

若い頃は、モテた(少しだけ)、そして痩せていた(ずいぶん)

それが、今では ただのメタボ印(しるし)のオッサン?

お爺ちゃん?

まあ どちらかではある。

脳を司るOSは【Windows ATM】で、

最近は、知人氏名の呼び起こしスピードや記憶容量、眼球センサーに、顕著な乏しさを感じる。

さらにWindowsとは名ばかりで、同時に2つの窓を開けはしない。

それ以上 開けようとするとそればかりに気が取られて 逆に 今、何をするつもりだったのかの記憶が飛んでしまう。

まあ とにかく約60年前に作られた【Windows ATM】というこのプログラムが、私の行動や人生を大きくコントローしていることには違いない。

『私』というプログラムは、

①「生まれもったもの」

②「親の躾」

③「周りの環境」

により組み込まれ、

成長するにつれ

④「自己の経験」

により、プログラムの書き換え、つまりバージョン・アップ?してきていると考えられる。

このブログでは、そのプログラマーたちのことを主に、綴りたいと思っている。

何故なら、仕事柄多くこの子ども達とその親御さん達と出会い、

やはり、親が子どもの、プログラム(生活習慣)を作っているということが解ったから。

親の「当たり前」が、その子どもの「当たり前」を作っていることが、分かったから。

親が変わらなければ、子どもは変わらないことが、判ったから。

親と子どもの共育に、少しでもお役に立てれば 幸いです。

 

次回のタイトルは、 父の「勉強すんだ?!」に、するつもり。