4.自分で決めなさい

今回は 私の小学生時代に母親が組み込んだプログラムの一つ 「自分で決めなさい」です。

母の名は「恵子」。

恵子さんは、とても「優しい」人でした。

そして 今 思えば 教育ママの走りでもあったような気がします。

母と

昭和2年生まれではありますが、神戸育ちで英語も話せた記憶があります。

私が小学生時代には、よく母と二人で旅行に出かけました。

小学2年生からは、毎年 夏休みに家にいたのは、ほんの数日間だったと記憶しています。

長期休みに入ればサッサと学校の宿題を終わらせ、旅に出ました。

必ずスケッチブックを持っての旅行でした。

日本アルプス周辺に、何度も行きました。

目的地に着けば、まずは 宿探しです。

5年生の頃には、「一泊三千円で、母と泊まれますか?」とフロントで交渉するのは、私の仕事でした。

※当時の三千円は、現在の約一万五千円相当

小学5年生

そして そこに何泊するのかも、

次の旅先を、決めるのも私でした。

母は、旅の移動手段も私に決めさせました。

と いうか 決めさせてくれました。

いや やっぱり

決めさせたのだと思います。

 

湖畔の民宿にも泊まりました。

民宿の食堂で 焼き飯を食べました。

 

老舗の旅館も泊まりました。

部屋で懐石料理を食べました。

 

一流ホテルも泊まりました。

本格的な洋食を食べました。

 

どこへ行っても

母は、色々なことを教えてくれました

たくさん話をしてくれました。

 

とにかく

やりたいことは、とことん させてくれました。

好きなところへ好きなだけ 行かせてくれました。

 

ルールは、ただ一つ

「自分で決めなさい」でした。

 

高校から県外に出るのを決めたのも、

勿体ないと、言われはしましたが

大学を4年生で中退して、アメリカへ行き

生業(卓球関係ではありません)を決めたのも

 

すべて自分で決めてきました。

 

自分のしたいことをし、

やりたいことをしてきているのだから

 

つまり・・・・・

当たり前のことですが・・・・・

 

今まで人生において

嫌なことや辛いことをした覚えは、

一度もありません

 

今も 毎日が、素敵な仲間に囲まれて

楽しい時間を過ごさせていただき、

働きたいときに、好きな仕事をして、

休みたいときに、休暇を取り

自由に、好きなことをしています。

ツキにも恵まれ

とっても幸せな人生です。

 

この歳に成って気づいたのが

母親が書いたプログラムの一つ

「自分で決めなさい」

おかげだと思います。

 

 

次回は「それを言っちゃあ おしめえよ」にするつもりです。