今回は 私の小学生時代の強烈な思い出の一つ
父の一言 「勉強すんだ?!」です。
父の名は「光彦」。
大正13年生まれで、私の当たり前(ATM)の基盤を作った一人です。
光彦さんは、私にとって、世界一「怖い人」でした。
私の記憶の小学生領域には、光彦さんが笑っている動画は存在しません。
小さい頃に、父親に遊んでもらった記憶は、無いに等しいです。
相撲をしてもらった時でも、思いっきり投げ飛ばされました。
だから、父親に「相撲をして」とお願いしたのは 一度っきりです。
同世代の方ならご存知だと思われる星一徹さんなんて、まだまだ甘い方です。
また、17時を過ぎてから家に帰ったりしたときには、その日の夕飯は抜きで、しかも電気のつかない真っ暗な納屋に寝かされました。
私の小学生時代の勉強机は、母屋の2階の廊下の突き当たりにあり、目の前には 大きな窓がありました。
ある日、自分では結構 勉強をしたつもりで、階下へいきました。
階段を降りると、そこには茶の間がありました。
そこには、ドッシリ座って新聞を読む 光彦さんが居ました。
私 「あ~終わった~」
父 「勉強が、終わったのか?」
私 「うん。終わった」
父 「ほ~ お前はその年で、勉強を終わったと言うのか。大したものだな。 お父さんはこの年でも まだ 勉強は終わっていない。」
腹立たしいというか、頭にくるというか、そんな思いで、再び 勉強机に向かったのを覚えています。
また、宿題などに対し字を雑に書いたりしていると、何度でも何度でも書き直しをするように命じられ、「他人に読んでもらうもの」と「自分のためのメモ」との違いを教え込まれました。
何度も書き直しをしていて、うっかり消しゴムでその用紙を破ってしまった時には、
丁寧さが足りないこと、イヤイヤで行動をしている態度に対し、叱責されました。
勉強中の姿勢が悪いと、背中に長い竹製物差しを突っ込まれました。
ただ、
今 思えば、父も母も 私が勉強している間は、必ず 茶の間で新聞を読んだり本を読んだりしていました。
TVがついていたことは無かったです。
当時は、何度も悔し泣きをし、
「将来 絶対に父のような父親にはならない。」と決めていましたが、
「子どもたちが勉強している間は、TVは観ない」というところは、
結局のところ私たち夫婦も真似をしました。
相撲では、負けてはあげましたが。
次回のタイトルは 母のプログラム
「自分で決めなさい」に、するつもり。