7.どう思う?

私が小学生の頃

母は 頻繁に「どう思う?」と、尋ねてきました。

 

ある事柄に対して、

子どもが親に、

「ねえ どうして?」と、きいて

それに親が答えると、

子どもは

また

「それはなぜ?」と、

しつこくきいてくること、ありますよね。

 

私の母親の場合は、その逆バージョンでした。

母親が私に「どう思う?」

そして

それは「どうして?」と、質問をしてくるのです。

そして 私の意見を聞いた後は

「なるほどね、謙次は 面白いね」と、言ってくれました。

なんだかんだ言っても、最終的にはいつも褒めてくれるから、その質問責めも苦にならず楽しいものでした。

【4.自分で決めなさい】で触れた 旅行先でもたくさんの問いかけにあいました。

必ず 私に思いや考えを言わせていたように記憶しています。

このような 母との習慣が、

きっと現在の私の長所でもあり、短所であるところの

「思ったこと 感じたままを ズバズバ 言ってしまう」という私の部分を作り上げたのだと思います。

そこは 私個人 大人として 人に不快感を与えてしまうことも多々あるので、深く反省すべき点ではありますが、

子どもには「自分で考え 表現する」ことは、とても大切なことだと思います。

ですので、

当スクール内で、私は子ども達に日課のようにあらゆる問いかけをしています。

今の練習は 「何のためにしているの?」

今の練習を 「もっと意味のあるものにするにはどうすればいいと思う?」

今の君に 「神様が何かを足してくれるとしたならそれは何だと思う?」

もし 「今の大事な試合で負けるとしたら、何が敗因だと思う?」

などなどです。

すると、毎回「ハイ」とすぐに手を上げる子と、黙り込んでしまって自分の意見を言えない子がいます。

自分の意見を言えない子どもに、

「なぜ自分の考えを言えないの?」

と尋ねても黙っています。

口をモゴモゴ動かし、発言の練習をしているように見える子もいますが、結局 その子の意見は聞けません。

とにかく ずっと黙り込んでしまう子もいます。

これには極度の恥ずかしがり屋さんということも考えられますが、当スクールの場合にはその理由は当てはまりません。

なぜなら、入校して間もない子どもには、みんなの前での問いかけはしません。

まずは、その子が物怖じしないタイプなのか、それともシャイなタイプなのかを見極めることにしています。

つまり、みんなの前で発言を求められる子どもは、練習時や休憩時には友達と平気で話せている子どもなのです。

勿論 私との関係も、

既に緊張して話せない間柄では、ありません。

なのに、私に

「君はどう思う?」と練習中やミーティング中に問われると、黙り込んでしまいます。

それは、たわいもない質問に対してもそうなってしまいます。

ある時、あるお母さんが、「うちの子は、自分の言った意見がもし違っていたら、恥ずかしいから、いつも黙っているのです。つまり自信がないのです」とおっしゃっていました。

確かに、誰しも人前で間違った意見を言うと恥ずかしく、また、自信の無いことは話せないものです。

しかし

「うちの子は、自信がないのです」と言う部分に関しては、

その原因はどこにあるのでしょうか?

また、その説明自体が、我が子を守っている親の

優しさであり、弱さなのです。

 

  •  もしも間違った意見を言って、人に笑われたり、馬鹿にされたら、恥ずかしいと思うのは、きっと 過去にそういう経験があるから
  •     自信が持てないのは、発言する機会が少ないから。
  •  「人には色々な意見や考えがあり、どれも間違いではない」って事を、親が教えていないから
  •  いつも 自分が話さなくても親(誰か)が助けてくれるから
  •  子どもが話そうとしているのに、親がそれを待てずに 答えを先に言ってしまっているから
  •  親が子どもに いつも「ああしなさい」「こうしなさい」というような指示を出しているから

だと思われます。

 

このようなことがありました。

ある日、試合の帰りに 「スタミナ太郎」というバイキングに行きました。

焼き肉有り、寿司有り、デザート有りのお店で、子どもなら楽しくてたまらないのではと思い、入店しました。

しかし

そこで ある子どもが、親に「何を食べればいい?」「○○食べてもいい?」って、いちいちお伺いをたてているのが聞こえてきました。

もしかしたら何かアレルギーでもあるのかとも思いましたが、

そんなことも自分で決められないのかと不思議に思うとともに驚きでもありました。その子が スクール内での私の質問に、答えられないのも当然だとも思いました。

その家庭ではきっと 日頃から、

「これを食べなさい」 「あれはダメです」 「それはそのぐらいにしておきなさい」などの指示を、親が出しているのだろうと想像してしまいました。

このようなこともありました。

先の子どもとは、違う子どもの話です

練習場の駐車場で、BBQパーティーをしていたときのことです。

私   「 食べ終わった人は、遊んでおいで」

○○君 「何をして 遊べば良いの?」

私     「なんでもいいよ」

○○君 「難しいな~」

何をして遊んで良いのかすら、わからないようでした。

 

私は父親譲りの「意地悪人間」なので、

子どもが答えるまで

子どもが自分で行動を起こすまで

常に黙って待っています

何分でも待ちます。

子ども達は

「田中さんは、絶対に助けてくれない人だ」

ということが分かってくれば、

徐々に

どうにか意見を言うようになリます。

バイキングでいちいちお伺いをたてていた子も、半年ぐらい前から、やっと「ハイ」とすぐ手を上げるグループ入りを果たしました。

「何して遊べばいいの」と、きいてきた子も、今では休憩時間を、楽しく過ごしています。

二人とも 学校の成績も卓球の成績も上がってきました。

少しずつ 自分の思いや考えを言えるようになったことにより

自分に自信を持てるようになったのだと思います。

 

何でも 親が先に言ってしまっていると、

子どもは、いつまでも指示待ちの子どもでいる

ことになります。

親は子どもが可愛くて仕方が無いのは分かります。

しかし、

子どもが失敗しないように先回りして指示することが

本来の「過保護」というものです。

それをしている以上、いつになっても

子どもは指示待ちから抜け出せません。

やはり、

親が子どもに対して我慢することが必要

だと、思います。

 

長くなりましたが、最後に

平井信義著 新紀元社出版

【「心の基地」はおかあさん】 に書かれている、一部をご紹介します。

親に服従ばかりして成長した子どもには、「自発性」が発達しません。「自発性」とは、自分であれこれ考えて、自分のしたい行動を選び出し、他人に頼らずに行動する力です。

自発性の発達が遅れている子どもは、ちょっとした困難に出会いますと、挫折しやすい子どもです。

そのような子どもは、両親の、特にお母さんの命令的な圧力に屈従し、あるいは過保護を受けてきています。お母さんは、身勝手に考えた「よい子」の鋳型の中に子どもをはめ込むためのしつけに熱意を示したり、子どもの内在しているすばらしい能力を信じないで、子どもは弱い存在として、あれこれ保護をしてきたのです。

そのことに気づいたならば、子どもにすべてをまかせ、口を出したり手を貸さない態度を確立するように努力することです。

そうなると、自発性の発達が遅れている子どもですから、一時的にはどのように行動して良いか分からずに、ぼんやりしていたり、うろうろしているという状態が続きます。しかしお母さんがそれに耐えて、口を出さないでいると、子どもはあれこれと迷いながらも、自分なりの行動を確立する努力を始めます。そして、時間はかかりますが、自発性が育っていきます。そしていきいきとした生活を始めます。自発性は元から子どもにもあるのです。

 

 

 

次回は 「価値観」にするつもりです。