13. 親の洗濯?

人生は 岐路に立った時の 選択の違いで

進む道が 徐々に変わり、 

そして 他人とは 全く違った結果となる。

人は、方向が違えば、到達点も違う のです。

 

人生を振り返ると

木が成長するがごとくで、

幹という経験があり、たくさんの枝という選択枝がある。

その枝は、

通常 子どもの頃は、親によって剪定される。

盆栽(凡才)にするのも

見栄えの良い木にするのも

生き生きと育つ木にするのも

その剪定次第だと思う。

剪定師、つまり 親がもっている

技量と知識力と能力で

違いが生じ、

その結果

子どもの人生も変わってしまう。

 

よく 「最後は子どもに決めさせたいと思います」 とか

「最後は子どもに決めさせました」と いう

親がいるが

この場合

その時点のその子に、

その事柄を決めることができる能力の

有無判断の、ミスをしてはいけないと思う。

子どもがその判断も下せない能力なのに

親が 子どもに決定権を持たせることは

親の無責任に繋がると思う。

後になって「あなたが決めたんでしょ?」なんて

責任逃れをしてはいけない

親である以上。

 

進路に関するときなど、

子どもにとっては 未知の世界の判断となるわけです。

見知らぬ世界の判断は 大人でも難しいです。

だから、親でさえ 迷う事項なら、

少なくても、子どもが中学卒業する頃までは、

色々なこと

親が判断すべきだと思います。

勿論 子どもの気持ちを察し 考慮しながら。

 

また、

「君が決めなさい」と、言っておきながら

親という権力で

最終的に子どもの意見を覆すことだけは、

しないで済むようにしておくことも大切です。

 

今までに

たくさん 親の選択ミスを 見てきたような気がします。

私事も含めて。

確実に 親の選択ミスのせいで

その子の進む方向が違っていきます。

(断っておきますが ただ、それは あくまでも私の思う選択ミスであって、当の本人にとってはミスでもないかも知れません。)

 

 

一度 自分の考え方の洗濯をすることを お勧めします。

 

 

「13. 親の洗濯?」への3件のフィードバック

  1. 「戻れるなら、どの時点まで戻りたい?」という質問があるが、非常に迷う。
    戻ったところで、その先に今より幸せな人生があるのかどうか分からないしね。

    一緒に歩いてきた子供の手をいつ離すのか、親として大きな選択の1つですね。
    離したところで、根っこでは繋がっているんだし、見守っていることには、かわりないんだけどね。

    選択を間違えても、引き返せないけれど、前には常にいくつもの選択肢があるんだから、前へ前へ進めばいい。

    人生生きてりゃ、なんとかなるさ!
    こんな楽観的な生き方も、また一つの選択肢かもしれない。

  2. おっしゃるとおりです。人生は選択だらけ。そして、あっという間です。子供には恐れず王道をいって欲しいと思っています。ただ、人数が多いので、私の神経が持ちません(笑)

  3. その子がちゃんと目標、夢を持ち普段から親子で話しあっていれば岐路に立った時にも自然に方向が見えてくるはずでは…って思ってます。
    そして、そんな親子になりたいです。

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