RIZAP(ライザップ)という会社が、「結果にコミットする」ということで業績を伸ばしているようです。
結果にコミットするのだから、業績が伸びるのは、当たり前と言えば当たり前だと思います。
「コミットする」とは、「約束する」とか「引き受ける」という意味です。
「できるだけのことをする覚悟をする」といってもいいでしょう。
親である以上
「子育てにコミット」し、
指導者である以上、
「学びにコミット」し、「結果にコミット」
しなければならないと思います。
つまり、子育てもまともにできない親を、またまた結果を出せない指導者を親や指導者と呼ぶべきではないのでしょう。
時折、「あなたは、何回言えばわかるの」と、親が子どもを叱っているのを見かけます。
残念なことに、
親が子どもの「理解」にコミットしていない典型的な状態です。
親の教えが子どもの理解にコミットしていないのですから、本来はこれまでの説明の仕方のどこに問題があったのかを分析して、子どもの理解が進むように親が説明の仕方を変えるべきなのです。
「何回言えば分かるの」は、子どもが全て悪いのではなく、「何回も言っても分からせてあげられない教え方に問題がある」とも、考えてみるべきだと思います。
「何かを教えても教わった方がそれを学んだとは限らない」のです。
つまり、【教えた】=【学んだ】ではないのです。
学校でも習い事でも、多くの場合は、【教え手】は「教える」ことに責任は持っても「学ぶ」ことまでは保証していないのです。
多くの塾は、「週何回何時間教えます」という約束を果たせば、「教えた」ことになり、その結果、生徒が理解し自分の知識となったかどうか、つまり生徒が「学んだ」か、どうかは別問題なのです。
だから塾に通っているものの成績が一向に上がらない子どもがいたりするわけです。
そしてそのような子どもの多くの親は、口をそろえて、「うちの子の頭が悪いから、全然成績があがらないんですよね」と、言ったりもします。
成績が悪いから習いに行くのに・・・?
私はとても不思議に思います。
教え手が「教えのプロ」でお金(指導料が高いか安いかは別問題)を取っている以上、成績が上がらないのは教え手の教え方がその習い手に合っていない。
つまり、教え手の責任と言っても過言では無いと思います。
更には、合う合わないではなくて、教え手の技量が習い手に合わせられない程度なのです。
勿論、成績が上がらない全ての要因が教え手に有るというわけでもないのですが、とにかく指導に対して料金が発生している以上、「うちの子の頭が悪いから・・・」などといった遠慮など要らないと思います。
「子育てにコミット」するなら、
お父さん、お母さん、
真剣に選択しないと、大切な時期を逃してしまいますよ。
教え手と習い手の双方互いの気持ちが、趣味と本気とでは、違いが出てきて当然です。
教え方が上手いと下手では、上達に大きな差が開いてきます。
また、
教え手が、教えることがうまくいかなくなった時、往々にしてまず責められるのは学び手です。「やる気が感じなられない」「自覚がない」「才能が無い」「何を考えているのか分からない」などなどです。そのうちに、保護者が悪い、環境が悪い、地域が悪い、社会が悪いということになっていく場合も多いです。
時には、責められる方も黙ってはいません。「先生にやる気が無い」「無責任」「傲慢」「えこひいき」などなどです。そのうちにやっぱり今の社会が悪いということに落ち着きます。
私は
指導者たる者、
①何か問題があるときに、その原因を個人の能力や性格、やる気のせいにして、問題解決へ行動を取らなくなってしまってはいけない。
②常に自分の教え方を見直し、さらに改善しようとしなければいけない。
以上のことを、信条としています。
最後に
一部のボランティア風スポーツ指導において
「タダより高いものはない」という場合もありますし、
「子ども達やシニア層に、ボランティアで教えてやっている」という人がいますが、
実は子ども達やシニア層が
「その人が気持ちよくなる為」のボランティアをしている場合もあることを、ここに付け足しておきます。
そのような人の特徴の一つに
ボランティアだと言っておきながら
「俺の時間を返せ」という捨てセリフをお持ちであることも、付け足しておきます。
次は 第10回ということで、このブログのタイトル「当たり前のレベルを上げる」について 書くつもりです。